愛のコリーダ on DVD(5作品目)

今からちょうど30年前の1976年、愛のコリーダは公開された。子供ながら、この作品でもめていることを知っていた。なぜかわからないけれど、ニュース見ながら8歳の俺は大島渚というおじさんを応援する気分だった記憶もある。
2006年、とうとう愛のコリーダをDVDで観賞した。昨日だか一昨日だか、奇しくもリハビリ中の大島渚さんが5年ぶりぐらいに人前に姿を表した、というニュースがあったばかり。
まったく先入観なし。主役の女が「定です」と名乗るまで阿部定事件を題材とした映画だ、ということも知らなかった。
性についての社会通念なんざ世に連れて変わってくる。2006年に生きている37歳男性の目から見たこの作品は、単なるわいせつとは明らかに次元の違う、いわばポルノ映画の表現を借りた芸術だ。ちょっと見ればそんなのはすぐわかるし、比較するのもばかばかしい。
そうは言っても。
お定と吉蔵のあまりに卑情な「ヤりっぱなし」ぶりにドンビキしてしまい、昨夜は20分ほど見て途中で断念しました。本日気合いを入れて再挑戦。
ホントにすごいよ、こりゃ。
次第に定が過激になり、2人の行為がエスカレートしていく様には男性として戦慄。見る側としても作品と対峙する必要があった。
見終わって、しかしこれは「究極の純愛映画」のような気さえしてしまった。劇中の事象だけとらえれば純愛とは対極なのに、すごく不思議な感覚。定の、セックスという行為に対してこの上なく純粋で忠実でありつづけたところが、そう思わされる理由なのかもしれない。定にとっての吉蔵は「愛の対象」でもなんでもなく「行為の象徴」として存在しているだけだったのかもしれない…なんか凄いこと言ってるな、俺(笑)。そのあたりの感覚がフランス映画にも通じるから、かの地で絶賛されることになったのだと思うのだけれど。
画面の中に執拗なまでに赤色が登場する。「赤」というのはこの事件の象徴的な色で、実際に定が吉蔵を絞め殺した紐の色が赤だったらしい。
冒頭、女中ふたりが女将と吉蔵の行為を覗くため廊下を歩くシーンで、暗闇にポツリポツリとついた明かりの中を着物の赤い裾が移動していく、とか、不自然に赤い座布団が座敷に置かれていたり、とか、挙げればきりがない。何とも美しい色彩設計。へぼい液晶モニタのツブレた黒でなく、スクリーンで暗いトーンの微妙な階調を味わってみたかった。2000年の再公開を見逃したのはつくづく痛い。
★★★★☆。20代で見ていたらまったく違う評価だっただろう。この歳になってから観て良かった。
2006年になっても、この作品ではずーっと局部にぼかしが入っているんだけれども、男の局部が“局部”から“オブジェクト”になったとたんにぼかしが無くなるのが、なんだか虚しい。
実際の阿部定事件については、以下のサイトが非常に詳しい。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/abesada.htm
模範囚としての仮出所etc.、事件後の本人歴を読んでいると、阿部定自体、人間的な意味で魅力的な存在だったように思える。
クインシー・ジョーンズの愛のコリーダ(81年)はこの映画に捧げられた作品で、原題も「Ai No Corrida」だったのか。へー。知らないことばっかりだ。
愛のコリーダ 完全ノーカット版
愛のコリーダ 完全ノーカット版

投稿者: mellowtone

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「愛のコリーダ on DVD(5作品目)」への2件のフィードバック

  1. > クインシー・ジョーンズの愛のコリーダ(81年)はこの映
    > 画に捧げられた作品で
    これ、有名な話ですよ。
    この作品で思い出したのが、1月まで日経に掲載されていた「愛の流刑地」。こちらは、男性が女性を殺してしまうのだけど、何かmellowtoneさんと同じ印象を持ってしまった。
    かなり話題になった小説なので、そのうち映画になるでしょう(笑)

  2. うげ、鋭いツッコミ!無知でスミマセン(泣)
    「愛の流刑地」知りませんでした。
    字面だけみてると、やっっっすいタイトルですねぇ(笑)。
    「愛の野球場」とか、スネークマンショーの一連のコントを思い出しました。

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