KALEIDOSCOPE(カレイドスコープ)/トゥーツ・シールマンス、松木恒秀、松岡直也

トゥーツ・シールマンス,松本恒秀

最近になって「トゥーツと松岡直也の競演盤」がある、ということを知り、廃盤なのでなかなか良いお値段で入手。
当時57歳、脂ののりきったトゥーツの参加は、1曲目FALL FOREVER、5曲目FANCY PRANCEですが、特に1曲目が素晴らしい。この曲を聴くためだけに購入してももとはとったかな、というぐらい出色の出来です。


多重録音で失われたフュージョンの即興性を取り戻すべく、当時の最新技術デジタル2トラック1発録りが企画され、プロデューサー瀬戸氏によりトゥーツ、松木恒秀、そして作編曲に松岡直也、という陣容が決められた、とのこと。誰名義のアルバムかがわかりにくいのですが、ジャケットの表記は
Featuring: TOOTS THIELEMANS
&
TSUNEHIDE MATSUKI
Composed and Arranged
by NAOYA MATSUOKA
とあります。
そして、参加メンバーもスゴイ。
村上“ポンタ”秀一(ds)、高橋ゲタオ(b)、長岡道夫(b)、ペッカー(perc)、
土方隆行(g)、安川ひろし(g)、杉本代志(g)
土岐英史(ss)、向井滋春(tb)清水靖晃(ts)、
所々サウンドを切り取ると、WESINGのようにも、KYLYNのようにも聞こえます。
以下、ライナーノーツの意外(?)なエピソードをライナーノーツから(解説=山内弘滋 1979-8-11)

ところが、ここに一つ大問題が残った。作編曲の松岡直也が、大のハーモニカ嫌いで、その上、シールマンスのプレイをレコードで聞いても、どうにも彼自身のフィーリングに合わない、というわけだ。

松岡さんは、1937年生まれ。ということは、ハーモニカといえば複音ハーモニカ、という世代なので、強烈な先入観があったのではないか…まぁそれは致し方ないとして、聴いたレコードも悪かったのか?クインシーのアルバムを聴いてなかったのかもしれません。
しかし、瀬戸氏の努力もあり、レコーディングの当日、1979年7月15日を迎えることに。

録音当夜、スタジオに現れた57歳のトゥーツ・シールマンスは、瀬戸君の紹介もあらばこそ、いきなり競演ミュージシャンの誰彼なく握手をし、抱き合っての友情交換。ディジタル・レコーディングであり、シールマンスとの初のセッションということで、かなり緊張気味だったミュージシャン全員も、この思わぬ感激的出会いに、かなりリラックス。

そして、早速リハーサルへ。松岡直也のスコアーを一見したトゥーツは、ポケットから無造作に取り出したハーモニカで演奏開始。松岡としては、シールマンスのソロ・パートを、それほど多く用意していなかったのだが、当のシールマンスが、他人のパートまで延々とロング・ソロ。これには驚いたりあきれたり。しかも、そのプレイが、松岡の狙っていた線にピッタリで、急遽スコアーも変更。シールマンスに対して抱いていた不安感も吹き飛び、ハーモニカ嫌いも、たちまちにして宗旨変更と相なって、予定の2曲が、約6時間のセッションで完成してしまったという訳だ。

年の功もあるでしょうが、さすがトゥーツ!というエピソード。日本でなくても、ハーモニカというマイナーな楽器に対する偏見はミュージシャンの中にあっただろうし、それと長年戦ってきたトゥーツにとっては「お手のもの」だったかもしれません。
そして、実際に松岡直也との競演は、モントルー・ジャズ・フェスティバルで、しかもFALL FOREVERで果たされることになります。こちらもいずれ聴くつもりです。

投稿者: mellowtone

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